Aslisa Ellenis

■極東連隊管轄下独立自治区「七領市」

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園田馨は、2041年4月付け――姜泰明が極東連隊の長官に赴任した直後に、七領市への移住手続きが受理された。


さて、この園田という青年、実のところ七領市を初めとする独立自治区に住む者が多かれ少なかれ持っているであろう特殊能力の【魔導力】がからっきしである。勿論、独立自治区市民には魔導力の薄い者、無い者もいない訳ではないが、大抵の場合他の何らかのちょっと可笑しな力を有しているもので、それらと比べた際、園田は客観的に見て一般人の領域で、本来であれば独立自治区に住まうべき人物ではない。
何かというと、園田の父親が連合宇宙軍の職員であったが故の特例と例外措置である。無論己の身は己で守るという前提条件を伴ってのものであるが。

極東連隊長官・姜泰明は、実に適当かつ大雑把に七領市の何たるかを園田に説明した。その上で園田は、気になったことについては自ら調べ、そして率先して質問を投げ掛けてきた。

七領市にはまず、交番が無い。もっと正確に言えば、通常の警察組織が無い。連合宇宙軍の各連隊に組み込まれている軍警察組織がそれを担っている。警察ばかりではない。役所も保健所も税務署も、あらゆる公的機関が、全部連合宇宙軍庁舎に内包されている。これは連合宇宙軍が「独立自治区内の行政をすべて担っている」ということだ。
「独裁?ならんな、まず」
そういって泰明は笑い飛ばす――確かに極東連隊における最高権限を持っているのは長官である泰明だが、事実上それに順ずる権限を持つ者が各部署の長を務め、そして互いに信頼と合理性の下に協力体制を敷いている。……もっともそれ以前に、好き勝手な権力というものに泰明は興味を持っていなかったが、そこはまた別の話である。

また、七領市ではあらゆる市民データが本営によって管理されている。行動のすべてを把握されている訳ではないが、市民パスと各人が体内に持つICチップとの連携により、少なくとも不正に当たる行為があれば直ぐに露呈する。軍警察が巡回を厳にしていないのはその必要がない為とも言えよう。
さらに物品の売買もデータ管理となっており、市民パスなり静脈なり網膜なりを翳して身ひとつで買い物が出来たりもする。使った分は登録口座なり給与なりから天引きである。最早キャッシュレスどころではない。

……のだが、何故か七領市でも自治区の外と同じ通貨が存在している。紙幣に硬貨に電子マネー。
「何故だと思うかね?」
理由はふたつある、といって泰明は右手の人差し指と中指を立てた。

ひとつは自治区の外との遣り取り。ここまで進んだ売買システムは市民情報が概ね掌握されている独立自治区でなければ難しいだろう。現に自治区の外では、規模と人権の関係で未だ徹底に至らず、従来通りの通貨を必要とする場面も少なくない。

もうひとつは、宇宙軍に掌握されると困る遣り取り。
やはりというかなんというか、世の中には「日の当たらない所」でしか流通しない代物、というのがあって、それらを表立って売買することは当然のように禁止事項なのである。そしてそういったものを必要とする者と仕入れることができる者がいる――誰が、何がとは言わぬが、と泰明は鼻で笑った。どうやら取り締まる側もある程度黙認せざるを得ない理由があるようだ。

……さて。ときに連合宇宙軍の目を逃れるのは物流のみではない。と泰明は園田に振った。
何か疚しいこと、不都合なこと、或いは規則に悖ることがあれば逐一捕捉されるこの独立自治区において、管理機関――軍警察、ひいては連合宇宙軍陸軍部というものの、「現場における活動」は、本当に必要であるのか?

園田は首を捻る。困惑したのだ。当の連合宇宙軍陸軍部極東連隊の総司令からされる質問ではない。
「可笑しいだろう。俺がこんな質問をすることはさておき、独立自治区の仕組みと、そこに無数に開いている抜け穴の存在が」
そこではたと気付く。物流が管理の網目を潜るように、その他の何かもまた、監視をすり抜けるものだということに。
「勿論全市民を四六時中モニタリングすること自体は、物理的には可能だ」
そう前置きした上で、実のところ独立自治区が完全に管理し切れない理由は人権などの所為ではない、と泰明は語る。

まず、独立自治区というのは、ソーサラーやスーパーストレンジ、軍関係者が住まう隔離地区であり、“名目上”はそのすべてが市民IDを持っている。
「……俺の言った意味が解るか?」
つまり登録された住人ではない者がいる……?と園田は自信なさ気に答える。それを聞いて泰明は頷いた。
「偽造IDを持っている者、正規の手続きを経ずに入ってきた者、或いはそもそも存在しないことになっている者――色々いるな。どうしてこういったことが生ずるかは実に簡単だ。完全な管理は“自治区の内側でしか”成立しないのだ」
いわゆる【越境】を完全に監視する術がない。それは外側が独立自治区に対して非協力的であるが故である。

……もっとも、訳あって独立自治区送りになった者にとっては、正規の手順を踏んで正規の市民IDを得た方が何かと得だ。無条件で一定の権利と庇護を受けられるのだ。そも素性の怪しいものでない限りは、不正規に入り込むメリットは皆無である。
「つまりまあ、大抵の場合は、そこに何らかの意図がある訳だ」
何しろ正規IDを持たぬ者はそこにいないことになっている訳で、財産も人権もない状態である。発見され次第“いなかったことに”されるのだ、正規の手順で。
自嘲めいた笑いと共に吐いて捨てる泰明の様子に、園田はほんの少しぞっとした。


「まあ、その辺りは置いておいて……君は正規の手順でここに来た訳だ、歓迎しよう。なお君の所属は本日付で連合宇宙軍陸軍部軍団ソーサリング対策師団第1幻界旅団極東連隊長官府大隊管理部中隊――俺の直下だ」
園田の口元が引き攣ったのが見えた。