[2043.6]
技術医療開発部大隊 技術部開発課中隊の人事について
第4ラボラトリ 常陸このみ少佐
7月1日付で第4ラボラトリ室長に任命する。
第6ラボラトリ 相馬猛人大尉
7月1日付で特務大尉に昇進の上第6ラボラトリ室長代理に任命する。
第8ラボラトリ 遠鐘十六夜大尉
7月1日付で特務大尉に昇進の上第8ラボラトリ室長代理に任命する。
以上
連合宇宙軍極東連隊技術医療開発部大隊、通称「ラボラトリ」の技術部開発課中隊。
主にデバイス1)やネットワークに関する開発や運用を行っている部署である。
その開発課ラボ群は全体的に組織編成に穴が生じていたが、組織改変により漸くその穴が埋まろうとしていた。
そも彼ら技術部開発課のラボラトリの幾つかが室長職を欠いていたのは、度重なる反軍組織のテロで主要となっていた士官の多くが死亡や療養でラボを離れた為だ。主にベテランが狙われたが故に、残った、或いは後から配属された面子の多くは階級が伴っておらず、幾つかのラボで長らく室長不在の状態が続いた。しかし流石にそれでは組織として立ち行かなくなる箇所が生じつつあり、能力があればラボに限らずどんどん昇進や配属を進めるという昨今の動きもあって随所で配備が進んだ。
「やー、しかしわたしがいちばん古株とは言えメンドクサイなー」
「いや、そこは妥当でしょう、ずっと室長代理だったんですし。第一遠山先輩3)が居なくなってから第4ラボは他より長い間室長不在だったんでしょうに」
辞令を受けてぼやいている常陸このみ3)に後輩の相馬猛人4)が言う。彼らは軍事部の出身で「ラボラトリオタク5人衆」と呼ばれるうちのふたりでもあり、帝都大学在学時からそれなりに親しい。勿論現在もオタ5人衆ひっくるめて仲が良い。
「そりゃそうだけどさ、でも不在でもふつうに回ってたんだから室長って要らなくない?」
「そういう訳には行かないでしょう」
相馬が所謂「なんでやねん」の動作で常陸の肩にツッコミを入れる。
「ていうかおたけさんも室長代理じゃん」
「そうなんですよ、別にキタさんでも良く無いっすかね」
今度は相馬が溜息を吐いた。注釈しておくが彼らは断じて室長という職そのものを面倒がっている訳では無く、自由でものぐさなので責任のあるポジションを基本的に避けようとする傾向を持っているだけである。能力も人格もラボの室長としては充分な連中だ。
「まあたぶんマジでどっちでも良かったと思うよ?」
「ですよねー……何で俺かな」
キタさんこと喜多慎一5)は相馬の同期で、長らく同じ第6ラボでネットワーク運用を担当している。キャリアも能力も明確に差が無いので、相馬の方が室長代理になったのは対人能力のほんの僅かな差だろう。それにしても日頃は寡黙な相馬だが、常陸が相手だとまあこれが良く喋る。
「そして第8ラボも不在だった室長に代理が付いたぞ、っと」
「そうですね。ええと……確か工学部出身で俺たちの同期に当たりますね。面識はあまり無いですけども」
海を見ていた。
クレーンが佇む桟橋で腕を組んで立ったまま、連合宇宙軍の士官が海を見ていた。
後藤宜尚6)は「この世界」が何度か「やり直し」をしていることには気付いている。但し以前の周回のことは断片的にしか覚えていない上に毎度全く同様に進むとも限らないので、ターニングポイントがあっても状況を改善または変化させる行動は基本的に取り得ない。おそらく他の断片的な記憶を持っている者も同じように考えているのか、或いは整合性が取れるように因果が出来ているのか、だいたいはどの周回でも大勢は同じように進む。ただ、細部は都度変わっている。彼の身辺もそうだったし、彼自身もそうだった。
「ごめん宜尚、遅くなった」
例えば今彼に駆け寄りながら声を掛けて来た遠鐘十六夜7)。幼い頃に両親と死別して叔父に引き取られたところまでは一致している。大学時代に宜尚らに出会うことも一致している。その間の流れに小さくは無い差異がある。
「いえ、大して待ってません。ところで室長代理だそうですね、おめでとう」
「ありがとう。未だ何か実感が無くてむずむずするなぁ」
現在彼らは連合宇宙軍の技術部開発課第8ラボで魔導義肢を中心としたデバイスの研究に携わっている。
ふたりは話しながら歩き出す。この辺りは現在七領市蛍火1丁目と呼ばれている場所だ。
かつてこの辺りが行政的に横浜市西区と呼ばれていた周回では、十六夜の境遇はたいへん不遇であった。義母、即ち叔父の妻がそれはもう酷い人間で、叔父は過労死するわ十六夜は虐げられた上に悪事に加担させられるわで碌な目に遭ってなかった。もっともこの辺りの話は別の物語で――いや、【上位概念】の話はひとまず置いておこう。
現在の周回においては、十六夜の義母に当たる人物が少なくとも見える範囲に存在していない(或いは何処かしらにはいるのかも知れないが)。その為、十六夜の叔父=義父は独身で、健康で、今も健在である。環境が変わった影響で今の十六夜は以前の周回よりも幾分明るく積極的な性格であると宜尚は思っている。
彼らの卒業した大学も、何回か前の周回から帝都大学工学部になっているが、覚えている最初の周回では少なくとも帝大工学部では無かったと思う。尚、大学時代に北条賢人8)や渕上拓9)と出会いオンラインゲームで活動する流れは一度も変わっていない。
「ところで十六夜、一度聞きたかったんですけども」
十六夜が現れる前、宜尚はずっとここまでに書かれた件について考えていた。自分は断片的にのみ繰り返した内容を覚えている。
「もしピンと来なかったら、可笑しなこと言ってるなと思ってスルーしてください。きみは、『前回』または『それ以前』のことを覚えていたりしますか」
それを聞いた十六夜の眼鏡越しの瞳がゆっくりと閉じ、数秒待ってそっと開いた。
「――覚えてるよ」
潮風になびく十六夜の黒髪。それは最も古い記憶で宜尚に助けられ、自由になった後身なりを整えた際の髪型と同じものだった。
「あのときも、その後も、何度も僕は君に助けて貰った。本当に、ありがとう」
そう言って微笑んだ十六夜の後ろには見慣れた景色。何度繰り返してもこの辺りの風景は大きく変わることが無かったように思う。おそらく十六夜は宜尚よりも鮮明に、その情景を、その思い出を、覚えているのだろう。
「【時語り】?」
「ええ、そういう概念、ですね」
佃真由美10)の問いに念押しするように、相馬は答えた。眼前には炒飯と餃子。
正式な辞令を受け取った後、常陸と相馬はオタ5人衆で食事に行っており、そして丁度今、喜多が頼んだ肉野菜炒め定食がテーブルに現れた所だった。
「これはあくまでも風の噂なんですけども」
多少卑怯な前振り――相馬はそれが噂ではなく概ね事実だというのは把握している。体感的な根拠を欠くのは彼自身が【時語り】ではないというだけに過ぎない。
「この世界が人類の生存戦略に失敗する度にやり直してるらしい、って聞いたことあります?」
「あー、なんか度々噂には上がるし、まあ俺らは必ずそういうこと一度は考えるよな。ただどうも噂じゃないって話」
来たばかりの肉野菜炒めを突っついている喜多もまた、伊達にオタク兼情報系ラボ員をやっている訳では無くその手の情報には敏い。相馬と同程度には上層部が持つそれらの情報を独自に得ている。
「で、そのやり直すときに以前の周回の情報を持ってる奴がいるらしい、って話です。それが【時語り】」
「へー……ってそれやり直すときにめっちゃ有利なのでは?」
麻婆豆腐定食の四方田詳子11)が食い付いて来る。彼女もまた朧気に話題としては聞いていたらしいが、ここまでの全員の反応からして、彼らの中に【時語り】はいないようだ。
「や、なんかやり直せる箇所とやり直せない箇所ってのがあるらしいです、噂では何度やり直しても失敗する部分があるとかなんとか」
「ふーむ、でもやり直せる箇所もあるってことだよね?」
「そうですね、でなきゃやり直す意味が無いですから」
実際にそうして何度と無く繰り返し、第1幻界の崩壊、世界の消失を防ぐ為の施策を練っているらしい、その過程で魔導力という概念が復活した、という説が既に連合宇宙軍勢力下では一般化しつつある。
「ちなみに【親殺しのパラドックス】が発生すると整合性を取る為に一瞬で存在が挿げ替えられて、以後の周回では取って代わられてしまうという怪談めいた噂もありますよ」
「なにそれこわい」
「ところでさあ、今日は何でみなとみらい?」
「……さあ? 誰かの用事ついでだっけ?」
かつての周回での呼び名が今も通称として残るこの地域は、何度時を巡ってもその姿は殆ど変わることが無かった。
脚注
1) ソーサラーがその魔導力を増強、特定機能化などをする為の道具。広義では魔導力で動くもの全般を指す。
2) 遠山冬樹。帝大軍事部1期生。ネットワーク関連ラボ(第4・第6ラボ)を確立した功労者だが反軍テロで殉職。
3) 帝大軍事部3期生。オタ5人衆筆頭の強引ぐマイウェイな凝り性。ネットワーク開発部こと第4ラボ所属。
4) 帝大軍事部4期生。オタ5人衆のひとり。寡黙だが語り出すと止まらない。ネットワーク運用部こと第6ラボ所属。通称おたけさん。
5) 帝大軍事部4期生。オタ5人衆のひとりで相馬の同僚。ぼんやりしているようだが剛腕で語りたがり。
6) 【月の沙漠】の登場人物のひとり(アリオト)。【L.A.G.A.】での周回と時期では十六夜と共に宇宙軍ラボの所属である。
7) 【月の沙漠】の登場人物(フォルモント/イザヤ)。知り得るすべての周回で後藤宜尚と大学時代から連なる深い接点を持つ。
8) 【月の沙漠】の登場人物(ワイズマン)。何れの周回でも十六夜の同輩かつ拓の後輩に当たり、【L.A.G.A.】では民間企業で義肢の開発をしている。
9) 【月の沙漠】の登場人物(ミロ)。十六夜と賢人の先輩であるネトゲ初心者。【L.A.G.A.】では宇宙軍ラボの所属。
10) 帝大軍事部3期生。オタ5人衆のひとりで常陸の盟友。防衛機構などを管理する技術部管理課第2ラボの所属。
11) 帝大軍事部6期生。オタ5人衆のひとり。所属は田之倉文明率いる技術部開発課第7ラボだがよく受付業務をしている。