■硝子の空(1)
***[2042.5.1]
姜泰明の31歳の誕生日である。……いや、そこは割とどうでもよい。
ソーサラー自治区七領市。
東京都と神奈川県に跨るこの街を、よく言えば「守護」、悪く言えば「管理」しているのが、連合宇宙軍陸軍部極東連隊である。
自治区、というのは、ソーサラー(と呼ばれる特殊能力者)を「隔離」――監視と保護を目的にして集めている地域で、ソーサラーは自治区で暮らすことにより、一定の権利と義務が生じる。 平たく言うと、「生活の保障とか暴走の尻拭いとかはこっちでやってやるからその分働け」ということである。
尚このぶっちゃけすぎな文言は現長官・姜泰明に拠るものである。
もっとも、ソーサラーの行使する能力というのは、不可視だったり常識を凌駕していたりするもので、非ソーサラーにとっては畏怖と迫害の対象であるため、こうして隔離しておくことはお互いにとって事を穏便に済ます最も有効な方法であり、自治区創生以前から半ば自発的に行われてきたものだった。
……七領市が現在の七領市として確立する切欠はとあるソーサラーの暴走による大都市壊滅であったが。
さて、これらソーサラー自治区のうち最も大規模なものがこの七領市である。極東連隊本部を擁し、特に強力なソーサラーが数多く集まる街であるが、自治区の外側もまたそれなりの規模があり、市民以外の流入がない訳では無い。つまり「ソーサラーではない」、もっと具体的には「ソーサラーとそれに関わる制度に反する」者が、目的と共に入ってくることがある。
完全に取り締まることは不可能だが、見つかれば然るべき処罰を受ける。そのリスクを背負ってでも入ってくる程の目的を、彼らは持っている。
ソーサラーはそうでない者にとって畏怖と迫害の対象である。
即ち自治区で離れて大人しくしている限り彼らが害を受けることは無いのだが、ときにそれを信じられない者がいる。或いは自治区まで出向いてソーサラーを排斥しなければならないと考える者がいる。連合宇宙軍の“敵”の多くは、そういった「内なる敵」なのである。
“彼ら”のうち最も大きい集団を【バロウズ】という。
-----------
話は変わるが、姜泰明の左目は義眼である。
これは大学時代に八須田綱紀との確執によって失われたものだったが、その発端は綱紀がソーサラー能力の現れである緑色の瞳の跡を執拗に隠すことと、泰明がそれを揶揄することであった。
八須田綱紀の左目は緑色であったが、現在は失われている。それを忌み嫌い自ら抉り出してしまった。彼自身は強力なソーサラーであるが、能力の行使を嫌う。理由は定かでは無いが、兎に角ソーサラーとしての力を極力使わないようにしている。それを抜いても充分に優秀ではあるのだが。
そういう訳だから、同期の連中の大半とも折り合いは余りよくない(特に泰明を目の敵にしていたが、そも泰明はサーキットランサーという電算機器にしか影響を及ぼさないタイプのソーサラーで、その中では強力ではあるがソーサラーとして強いかといえば甚だ疑問であり、単に性格の反りが合わないだけだろうと周囲は語る)。
綱紀には弟がいる。戸籍上弟であるが実際は従弟に当たる。名を真実(まさね)といい、ソーサラーとしての基礎能力は決して低くは無いが、綱紀などと比べると強力とは言い難い。綱紀はこの弟ともあまり折り合いが良くなかった。真実は「周囲の役に立つ為の力が欲しい」と考えていたが、綱紀は「ソーサラーが能力を捨てれば少なくとも排斥されることは無い」と考えている。
真実は現在帝都大学付属高校に在学中であるが、もう何年も話すらしてないらしい。
-----------
その八須田真実が通う【帝都大学付属高校】に在籍中の生徒の中には、連合宇宙軍所属扱いの者もいる。3年生になったばかりの敦賀忍もそのひとりであった。
この日、その敦賀忍が長官府に呼ばれた。
忍は、極東連隊幹部のうち泰明の長官就任以前から基幹部にいる数少ないひとりである敦賀文(ひとし)大将の息子で、早くから連合宇宙軍の任務に少なからず関わってきた。元々は文の受け持つラボラトリに所属していたが、2年生になった辺りからは泰明らから直接調査や実働を命じられるようになっていった。昨年解決した帝都大高に巣食っていた【魔障】の最終討伐戦にも参加していた。
そういった訳で、敦賀忍が長官府に呼ばれること自体は別段珍しいことではなかった。
今回忍が訝ったのは、明智美樹弥に直接呼ばれたからだった。