[2043.4]
悠里市弁務官団が引き上げを終えて七領市に帰還し、河津尊1)以下弁務官団の面々は長官府直下の所属となった。とはいえ、悠里市で現地雇用された正福寺晴朋2)以外は元々長官府所属なので特に組織割が変わった訳では無い。ただ地方弁務官団はこの日を最後に地方弁務官としての業務が消失した為、長官府周りの雑務……もとい補佐を当面は担当する形となる。
その地方弁務官団(おそらくもうこの呼ばれ方はされなくなるのだろうが)は曽我部誓徒3)が統括を務めているが、彼は実は地方弁務官団では最先任でも最上位でも無いので本人としても多少座りが悪く思っている。現在地方弁務官団の最先任は河津尊……ではなく、河津の前に悠里市の最高弁務官を務めていた神代昴4)という士官である。
神代は元沙渓市最高弁務官・五十鈴雅5)と同系統の【威圧】を中心に強力な精神干渉系の能力を持つパープルソーサラーである。おそらくは【威圧】に関しては五十鈴と同等かそれ以上ではないかと目されるが、多少不随意な部分があり必要以上に周囲を萎縮させかねない為、悠里市の傾向からして豪快で正直な河津の方が相性が良いだろうと考えて、最高弁務官を河津に任せて七領市にひと足先に帰還していた。以後は格下の統括・曽我部のサポートに当たっているが、曽我部が神代――の能力よりも寧ろ席次――に居心地の悪さを覚えているのは重々理解してはいる。
神代が最高弁務官であった頃、河津が高等弁務官、吉野6)が補佐弁務官、大島7)が高等弁務官秘書であり、当時から各々良く見知った間柄である。七領市に引き上げて来た河津たちが神代に会うのはそこそこに久し振りだった。積もる話もさることながら、神代はまず吉野に詳しく聞きたいことがあるようだった。
「吉野。お前確か軍事部の3期生だったな?」
「え? あ、はい」
出し抜けに神代に訊かれた吉野拓見は確かに帝都大軍事部の3期生だった。「呪われし1期生」「優等生揃いの2期生」と比較すると明るく大雑把な空気を持っていた世代であり、現在部隊長などを務め極東連隊を牽引している重要な世代でもある。但しそのフリーダムさ故に留年者や中退者も他の世代より多い。
「3期生に堀江今日持8)っているだろ、アレ、どんな能力持ってるんだ」
「あー、えっとですね。【具現化】系統のブルーソーサラーだった筈ですよ」
「……それだけか?」
「うーん……? いや、他にあったとしてもちょっと僕にはわかりませんね」
全力で訝る眼鏡越しの神代の視線が大層痛かったが、少なくとも吉野の記憶の中の堀江は【具現化兵装】と【防壁】を主軸とするブルーソーサラーでしかない。
「ふむ、だとすると本人が気付いてないか、或いは【隠匿】しているかだろうか」
「違う能力を見掛けたので?」
返答を受けて少しだけ考えた神代に、吉野は神代が堀江に見出した別の能力の根拠を尋ねた。
神代の推論はこうだ。どうやら堀江今日持は【干渉抵抗】に類する能力を持っているようだ。
前述の通り神代は割合強力な精神干渉能力を持つが、しばしばその意思に因らず発揮されることがあり、周囲が妙なざわつきを見せたかと思ったら自分の【威圧】だったということが往々にしてある。あるのだが、いつぞやも同様に【威圧】が暴発した際、堀江が全く動じなかったのだという。
「それはたぶん正解なんだよね」
真後ろから唐突に新しい声に話し掛けられて振り向いた吉野の視界に脱力感溢れる猫のお面が入った。堀江旭9)――河津と同い年の堀江今日持の兄、ブルージャケット元第12部隊長、現第7部隊長である。最早正体を隠匿する必要も無いのに何故か猫面は外し辛いようだ。
「そういえばお前の弟だったな、アレ」
「人の弟をアレ呼ばわりは酷いんじゃないかなー、神代さん」
半分本音、半分挨拶の対応と共に空いている椅子を引いて逆向きに座る。背もたれを抱え込んだ状態で旭は神代に言った。
「その類の能力はぼくも多少持っている。但しぼくはある程度任意に抵抗するのに使っているけど、今日持のそれは常在的かつ自覚が無い」
「やはり本人に認識無しか」
「うん、しかも割と強い。ただ露骨に目立つ能力では無いし能動的に発動できる訳でも無いから気付けないんだと思う」
旭の解説を受けて吉野は記憶を辿ったが、そういえば如何なる時も冷静に的確な判断が出来るのは性格のみならずこの能力の為せる業だったのだろうか?
「……だからこそ高藤くん10)のことを覚えてたんだけどね」
ぼそっと、本当にぼそっと旭は呟いた。別に神代や吉野に聞かせるつもりでも無く、反射的にするっと出て来た言葉である。
「高藤……も3期生だったなそういや」
「ああ、当然神代さんもこの能力持ってますよね、はは」
ここまで聞いていた吉野があることに気付いて考え込む。3期生。高藤。たかとう……
……そんな奴いたっけ!?
見事に吉野の記憶から高藤の存在が欠落している。軍事部3期生なら自分も知っていなければ可笑しい筈なのだがまったく思い出せる気配が無い。五十音順で前後に当たる園岡愛衣と丁字恒平のことはちゃんと覚えているのにだ。どれだけ考えても間にもうひとりいたことがちっとも思い出せない。
「まあふつうはそうなるね」
吉野の様子を見ていた旭は言う。
【被忘却】。【記憶改竄】の限定的かつ不随意的なバリエーション。本人が意図するか否かに拘らず、接点が無くなれば途端に忘れ去られてしまう。それこそが高藤仁志の持っていた能力なのである。
ところが、本来なら忘れ去られている筈の――忘れられているが故にブルージャケット第12部隊に配置された高藤を、今日持は覚えていた。 しかも旭は今日持の能力を失念してついうっかり高藤の存在と人となりについて尋ねてしまった。結果「忘れていない」から「知っている」に今日持の認識を格上げしてしまい、それまで孤独だった高藤の覚悟と自己認識に揺らぎが生じてしまう。任務上の行動でミスを踏む程には。
存在を覚えられているということは、存在そのものを秘匿せねばならなかった第12部隊所属者にとっては深刻なデメリットであり、しかし決死の覚悟で持ち帰った情報を受け渡す相手としては唯一無二だった。だから高藤は最後の情報を今日持に託したのだろう。
「……高藤くんにはほんとうに申し訳ないことをしたなぁ」
旭は再度、極々小さく呟いた。猫面の下の表情は見えないが、擦れた声は苦い後悔が漂っていた。神代は実にさり気なく顔を逸らしたが、吉野は些か腑に落ちない顔をしていた。その様子こそが第12部隊と彼らとの距離感なのである。
脚注
1) 九州の独立自治区・悠里市の最高弁務官。豪快で言葉足らずだが物事を柔軟に考えられる良き兄貴分。
2) 悠里市高等弁務官秘書。現地雇用された元自警団員。素直で正直な性格で七領市行きを楽しみにしていた。
3) 帝大軍事部2期生の地方弁務官団統括。舌戦に強いが嫁には弱い。
4) 前悠里市最高弁務官。見た目と能力から周囲には畏怖されているが、意外と俗っぽいところもある。
5) この頃は既に七領市にいる元沙渓市最高弁務官。「鋼の弁務官」「死神」などと呼ばれた猛者。愛称みやびん。
6) 帝大軍事部3期生、悠里市高等弁務官。威圧的な巨躯だが温厚で小器用。
7) 大島慧一郎。悠里市最高弁務官秘書。悠里市勢のマスコット的存在で良く揶揄われている。
8) 帝大軍事部3期生、ブルージャケット第5部隊長。人懐っこさと高い指揮能力、【具現化】能力を持つ。
9) 今日持の兄。猫のお面がトレードマークのブルージャケット第7部隊長。元12部隊長であり、その頃は存在そのものを伏せていた。
10) 高藤仁志。帝大軍事部3期生。他者の記憶から忘れ去られるという能力を持っていた為、存在そのものを隠蔽しなければならないBJ第12部隊の隊長になっていた。